終活人コラム
コラム
1月16日、法務省を通じて法制審議会部会がとりまとめた民法改正案の要綱が発表された。
民法改正については、この内容で国会に提出され、このまま法律が改正されるものと思う。
要綱の骨子は、新聞各紙も報道しているので、内容を知っている人も少なくないと思うが、個人的には、相続に関する改正がこのまま国会を通っても現在の民法が抱えている問題が解消されないのではないかと危惧する。
例えば、婚姻期間が20年以上あれば、配偶者が生前贈与で得た住宅は「遺産とみなさい」という意思表示がされたと推定する規定が改正要綱にはあるが、離婚率が高い日本で婚姻期間20年というのは長すぎるのではないかと思う。
離婚率や高年齢層の初婚や再婚を考えるならば、せめて婚姻期間10年以上にすべきでだったのではないかと思う。
そういうことを考えると、民法が改正されても、民法で相続対策を考えるのではなく、信託法による民事信託を選択して相続対策を考えるほうがより合理的ではないかと考える方が少なくないと思う。
いずれにしても、改正民法が施行されるのも遠くはなくなった。
コラム
昨日、宅建マイスター資格試験の合格発表があった。(2017.9.29)
不動産関連資格には、不動産鑑定士や宅地建物取引士などがあるが、この宅建マイスター試験の受験資格は、国家資格の宅地建物取引士として5年以上の実務経験者が必要、つまり、不動産取引に携わるプロを対象にした試験だ。(実務経験年数が不足する場合、宅地建物取引士資格+不動産流通実務検定600点以上ないと受験できないのでハードルは高い)
試験を実施した公益財団法人不動産流通推進センターの文書では、合格率は45.3%。 また、試験趣旨・レベルに関する公式文書を読むと、日頃、不動産取引に起因するリスクをどのように考えている宅地建物取引士なのかというプロとしての資質を問う問題であるため平易ではない試験と言える。
一般的な家庭の場合、主要財産が預金と自宅等不動産であることが多く、自宅を売却、あるいは、賃貸して老後の暮らしに役立てることを考えている方は少なくないと思う。 しかし、そうしたことが予定通りにいかなくなる可能性がある。
何故なら、国は、人口減少による空き家問題、自然災害問題、所有者不明土地問題、不動産業者と一般人の情報格差問題などを踏まえ、問題解決に対応した政策を進めており、その政策には不動産価値や流動性の優劣に直結するものがあるので、それらの情報を知らないまま老後のライフプランを考えてしまうと、老後の生活が理想と全く違うものになるからだ。
人口減少や自然災害増加、そして、それに備えた国の政策を考えると、国家資格者の宅地建物取引士も常に不動産関連知識のブラシュアップに励み、プロとしての能力を高めなければ相談者や顧客への充分な対応ができないということなのかもしれない。
コラム
人にとって住まいは大切。
ある人は広い家、ある人は狭い家、それぞれの状況に応じて工夫しながら暮らす住まい。
でも、高齢者になると広い家に暮らすのは大変だという声をよく聞く。
庭の手入れ、室内の掃除、若い時は苦にならなかったものがいつしか重労働になる。
掃除好きな人でもないかぎり家の広さが30坪(約100㎡)を超えると若い人でも毎日毎日掃除をするのは大変になる。
高齢者ともなれば、子どもが巣立っていった後の広い住まいを維持管理するのは難しくなり「広い家に暮らすのは大変」ということになりがちだ。
お掃除ロボットや掃除機などの選択をすることで掃除の省力化と合わせて自分なりの住まいというものを考えてみる。
そうしたことも必要かもしれない。
なにより大切なのは自分なりの住まいの基準。
当然、老後の暮らし方はひとそれぞれ、画一的な住まいの基準というものはない。
自分自身で60歳、70歳、80歳という節目節目での自分なりの住まいのイメージを想定しておくことも重要。
例えば、使わなくなった部屋を納戸として居間の家具を全て移して居間を広く使うなど。
60歳を過ぎると健康状況なども変化してくるので自分の暮らしにとって最適な住まいを早め早めに考えたい。
コラム
私たち日本人がガンを患うのは3~4人に1人という割合。
もはや誰もがこの病と無関係ではなくなっている。
今日、国立がん研究センターは、ガン患者の5年生存率を公表した。
公表されたデータを読んで何故か落胆した。
それは、このデータではガンと人との関係が生存しているかどうかという視点でのみ扱われていて、人が生きる上で大切な何かはこのデータからは読み取れない。
例えば、前立腺ガンは5年生存率が高い。
一見すると前立腺ガンなら生きることの心配はないように思える。
でも、本当にそうだろうか?
以前、前立腺ガンを患っている人と話す機会があった。
様々な面で「大変」と彼は言っていた。
確かにガンの生存率も大切だけれど、その間の痛み、治療費や収入など人がガンという病と闘うための情報は、5年生存率データを知るだけではわからない。
大切なのはガンとともに生きるため、人として現実とどう向き合っていくのかということではないだろうか?
その一助として、例えば、生存率と患者の生存満足度が一緒にデータ化されていたらどうだろう。
いつの日か5年生存率データにそういう視点が盛り込まれることを願う。
コラム
里山が好きだ。
暇があると里山に行く。
里山周辺には集落があって、そこで暮らす人々がいる。
しかし、ここ数年で里山近くの集落に異変が目立ってきた。
それは空家の急増だ。
ある集落では空家の隣家が空家になり、そしてその隣家も空家になるという具合だ。
家が空家になると老朽化がハイスピードで進んでいく。
閉められていた戸が外れ、窓ガラスが割れ、無残な姿へと変貌をしていく。
この状況になると空家には野生の小動物や昆虫などの棲家になってしまう。
変化は家だけにとどまらない。
集落近くの田畑も荒れ、集落から田畑に続く道も倒れた木々や雑草が生い茂っていく。
以前は通ることができた道も草木をかきわけ蜘蛛の巣を払いのけながら歩みを進めるしかなくなる。
東京都心からそれほど遠くない場所でもこうした状況だ。
一方、都心では、2020年の東京オリンピックを控えて地価が高騰、大手不動産会社でさえ60億円の不動産絡みの詐欺事件に巻き込まれるような過熱感さえあるのだが、変わりゆく里山周辺の風景こそが日本の将来像であることを憂う人間はわたしひとりだけだろうか?
コラム
今、私は母と暮らしている。
母に何かあればすぐわかるので迅速な対応ができる。
しかし、将来の自分はどうであろう?
孤独死のリスクはないのか?
どうするのがベストなのか?
真剣に考えない日はない。
私より一歩先にそのリスクに直面している人々がいる。
終活セミナーなどで「私が死んでもすぐには見つけてもらえないかもしれない。どうしたらいいでしょう?」という不安をもらす方は受講者は少なくない。
ある人は「私の全財産です。万一の時に(みとり)お願いできないか」と通帳の束をもってくる人もいて驚く。
当然、このような申し出はお断りをして、事情をうかがい適切な相談先などをご案内するのだが核家族を通り越して一人の人が多くなっていることを実感する。
そして、同時に、自分自身の将来像と重ね合わせても他人ごとではない。本当にそう思う。
現在、日本の空き家は800万戸を超え、それほど遠くない将来に1000万戸以上になると言われている。自動車なら3万台売れたら街中(まちなか)で走る車をよく見かけるようになると言われているので、空き家1000万戸という戸数は、散歩途中で「ここに空き家、そこにも空き家」というような状態になることが容易に想像できる。
そして、空き家の増加が意味するところは、誰も住んでいない家と家との狭間で孤独死が益々増えるということなのかもしれない。
昭和30年~40年代は子供が沢山いてマンモス小学校と言わるような1000人以上の在校生をかかえる義務教育の学校はいたるところに存在した。
しかし、今や、応募者が少ないからと知名度の高い大学でさえ募集中止に追い込まれたり廃校リスクを抱える大学が少なくないくらい人口減が著しい。
ある人は言う。
「日本の人口を増やすためには移民政策を転換しないといけない」
しかし、移民政策を転換して日本が人口減少をなんとか抑制できたとしても孤独死の問題が解決するとは思えない。
そこに日本がかかえる課題があるのではないだろうか。
コラム
家族信託の認知度が高まりつつある。
従来の民法では出来なかったような生前のうちに被相続人が自分の意志で自分の思い描く相続のかたちを実現できる家族信託。
ただ、個人的には、相続対策としての家族信託の活用提案より老後資金の保全提案に重点をおいている。
理由は、家族信託は、その名称の通り家族間で信託契約を取り交わして成り立つのだが、法律に馴染みのない一般の方が家族全体でその仕組みをきちんと理解するのはいささか難儀であるのと、私が講師を務めるセミナーは、主に相続税の負担の生じない一般的なご家庭の方を対象にしていて相続税や民法に馴染みのない方が少なくないので、そうした方に対して「相続対策として家族信託はこう使えますよ」というような話をしてもピンとこないし、一生懸命に家族信託の良さをアピールするほどに相手の理解と関心は冷めていくようにさえ感じることも。
そのあたりは、アパート賃貸経営者などの相続税や民法など基本的な理解のある方に相続対策として家族信託の活用提案が好まれることとは対照的だ。
それで、現在は、家族信託を老後の生活費を守る手段としての活用を主として提案している。
印象としては、そういう提案内容の方が敬遠されることもなくセミナー受講者も「そうだよね」という表情を返してくれる方が多いように思う。
家族信託コーディネーターとして、家族信託に対する自分の考え方と立ち位置を確認しながら家族信託の普及を模索していきたい。
コラム
平成29年5月29日(月)から,全国の登記所(法務局)において,各種相続手続に利用することができる「法定相続情報証明制度」が始った。
私のところにも「法定相続情報証明制度って何?」という質問が届く。
簡単に書けば、この制度は、誰が法定相続人なのかを全国の登記所(法務局)が証明書を発行、「法定相続情報証明」があれば戸籍関係書類を何度も取得する手間が省けますというものだ。
ただ、証明書を発行したもらうためには、法務局に申し出をする必要がある。
この申し出は、相続人が申し出て手続きをすることもできるが、弁護士・司法書士・行政書士・社会保険労務士・土地家屋調査士・弁理士・海事代理士に代わって手続きをしてもらうこともできる。(手続きの仕組み図)
個人的な見解としては、この「法定相続情報証明制度」が効果的な場合は、法定相続人の人数が多く、法定相人同士が遠隔地にいて、相続財産がある程度多岐(例:複数の不動産を有するなど)にわたる場合だと思う。
というのも、この「法定相続情報証明制度」を利用する場合、従来にはなかった「法定相続情報一覧図」を作り法務局に申し出をする必要があるのだが「法定相続情報一覧図」を一般人が短時間で作るには難しく、せっかく作成しても法務局から「提出頂いた法定相続情報一覧図は補正(=訂正の意味)が必要です。来庁してください」と言われる可能性が高い。
そう考えると、一般的な相続人が「法定相続情報証明制度」を利用する場合、弁護士・司法書士・行政書士・社会保険労務士・土地家屋調査士・弁理士・海事代理士に委任をして手続きをすることになるが、それには費用がかかる。
費用と時間をかけて「法定相続情報証明制度」を利用する必要があるのか?
そこが「法定相続情報証明制度」を利用するかどうかのポイントになると思う。
個人的には、相続が発生して、相続人同士も近くに住み特に不仲でもなく、また、相続財産が自宅と多少の預貯金、それと生命保険契約が数件という場合、「法定相続情報証明制度」を利用するまでもなく、従来通りの方法(戸籍等関係書類を必要書類を必要な分だけ集める)で相続手続きを完結したほうが時間も費用も節約できるとは思う。
参考までに「法定相続情報証明制度」について被相続人と相続人それぞれの立場で考えてみた。
(被相続人(財産を残す人)の立場での法定相続情報証明制度の利用検討フロー)
エンディングノートの相続財産欄に相続財産となりうるものを書き込む→遺言書原案をつくる→遺留分等の権利侵害をしていないか確認(この確認を専門家にしてもらう際に「法定相続情報証明制度」利用の必要性を確認)→エンディングノート相続備考欄に「法定相続情報証明制度」に関する専門家の見解を記載→遺言書作成(公正証書遺言書が望ましい)
(相続人(財産を受け継ぐ人)の立場での法定相続情報証明制度の利用検討フロー)
相続発生→遺言書有無・エンディングノート有無確認(「法定相続情報証明制度」に関する被相続人の意向確認)→遺言書がなければ法定相続(遺産分割協議+法定相続情報証明制度利用検討)→以降の相続手続きに進む
今回の「法定相続情報証明制度」自体は、相続人がおこなう手続きであるが、終活を考える上では被相続人も「法定相続情報証明制度」の仕組みを予め知っておくことは大切なので被相続人と相続人の立場での参考フローを記した。
いずれにしても、「法定相続情報証明制度」の利用すべきかどうかを予め考えておくことをお勧めしたい。
終活人コラム
民法改正が決まった。
実に120年ぶりの改正。
今回の改正の中で特筆すべきは「インターネット通販など不特定多数の消費者と同じ内容の取引をする場合に事業者が示す「約款」の規定も新たに設ける。消費者の利益を一方的に害する条項は無効」という点。
いまやインターネット通販はリアルな店舗での買い物とほとんど変わらないくらいに私たちの生活に浸透しているので消費者保護が鮮明に打ち出されたのは非常にいいことだと思う。
また、今回の改正では、不動産関係の敷金は原則返金、その他、認知症など意思能力がない状態で結んだ契約は無効など明文化されたことは注目される。
ただ、一方で、いいことばかりではないような予感も少なからずある。
それは、このような法律改正がされると消費者保護、生活弱者保護を逆手にとったような考えもでてくることが想定されるからだ。
そうなれば事業者は、自己防衛のためのコスト負担をサービスに上乗せするかもしれない。
例えば、敷金原則返金になるのはいいことのようだが、半面、退去時に清掃費用や自然摩耗や経年劣化に該当しないケースでは消費者への割高な補修費を請求することも想定される。過度な消費者保護はコストアップにつながりやすいので心配な面もある。
いずれにしても、民事の基本法の改正は生活に直接関係するので、注意が必要であることには変わらない。
終活人コラム
前回のコラムに続き、今回もアマゾンが日本の在宅医療と在宅介護の姿を変える可能性について書いてみたい。
前回はアマゾンダッシュボタンについて書いたが、今回はアマゾンエコー。
アマゾンエコーは、話かけるとAI(人工知能)が対応をしてくれるという円柱形の機械。大きさは500mlのペットボトルを大きくした程度の大きさなので機械というよりもアイテムと表現した方がしっくりくる。
アマゾンエコーの使い方は、例えば、「○○という本を購入したい」と話しかけると、アマゾンエコーが「○○という本を購入ですね。○○円です」とユーザーに音声で返して確認、ユーザーはその場で発注できるというものだ。
同様のアイテムはグーグルも手がけていてグーグルホームというものだが、一足先にサービス展開がされている米国では、アマゾンエコーの方がグーグルホームよりもダントツで人気とのこと。
理由は、アマゾンは物流やサービスの提供について独自のノウハウを確立していることと他の企業との連携を早期にうまく展開しているためだ。
このアマゾンエコーサービスが日本語対応になるのが、今年、2017年。
当初は、現在の米国でのサービス展開と同じようになると思うが、将来、アマゾンが日本の在宅医療や在宅介護分野に進出した場合を想定すると、例えば、「今日の○時から×時まで認知症の親の様子をみておいてほしい」というようなリクエストをアマゾンエコーにすると「今日の○時から×時まで認知症の親の様子をみる。ですね?」と音声で確認、自動的に人の手配をやってくれるというようなことが可能になる。
アマゾンエコーとアマゾンダッシュボタンの違いは、アマゾンエコーが音声だけで様々なサービスを受けることができる多対応型であるのに対して、アマゾンダッシュボタンはひとつの特定サービスにボタンが一つの単対応である。
一見、アマゾンエコーがあれば充分なように思うが、在宅医療や在宅介護だと「話すことが難しい」状況も想定されるので、アマゾンエコーとアマゾンダッシュボタン両方のサービスが組み合わさることで日本の在宅医療や在宅介護は劇的に変化するに違いない。
前回、今回とアマゾンにスポットをあてて日本の在宅医療と在宅介護の将来像を書いてみたが、法規制もあり、そうは簡単にできるはずがないかなとも思う。
ただ、IotやAIの可能性を考えると、私たちの将来の生活を変えることは確かであり、その最先端を行っているのは、アップルでもグーグルでもなく、アマゾン?と思えるほど、その存在感は日に日に増している。
終活人コラム
今回のコラムは「アマゾンが変える日本の在宅医療と在宅介護」をテーマにしたい。
日本ではアマゾンが在宅医療と在宅介護の分野に進出した場合の社会的メリットについて見通しを以て話をしている人はいないが、私は、アマゾンが日本の在宅医療や在宅介護を変えるに違いないと思っている。
何故かと言えば、既存のアマゾンのサービスを応用利用するだけでも在宅医療と在宅介護の課題は40%くらいがクリアできそうなので、アマゾンが本腰をいれるなら日本の在宅医療や在宅介護の課題のうちの80%くらいは解決できるのではないかと思う。
一例をあげればアマゾンには、ボタンを押すだけで特定の商品が自宅に届くサービスがある。
このサービスはアマゾン ダッシュ ボタン(Amazon Dash Button)というサービスで、特定商品をボタンを押すだけで商品が届くサービスであるが、これを在宅や在宅介護のサービスとしてアマゾン ダッシュ ボタンが取り入れると在宅医療や在宅介護は劇的に変化するに違いない。
アマゾン ダッシュ ボタンの優れたところはこれまでのようにパソコンを立ち上げてアマゾンのサイトを開き、商品を選び、支払いを行うという面倒な手間をボタンを1回押すだけですませる点が画期的であるだけでなく、複数回ボタンを押しても余分に押されたものは自動的に省かれるので、誤って複数回を押してしまうことが想定される認知機能が低下した方も安心して利用できることだ。
アマゾン ダッシュ ボタンを在宅介護に組み合わせたイメージは、ダッシュボタンを1回押すだけで1時間以内にサービスが受けられたり、認知症の高齢者が俳諧した場合も家族がアマゾン ダッシュ ボタンを押すだけで位置確認をして警備会社の警備員が保護に向かうなどが実現できる。
「ワンボタンでのサービス提供はアマゾン以外でも同じことができるのでは?」
と思う人がいるかもしれないが、アマゾン ダッシュ ボタンと同じようなことを実現するのはそれほど簡単ではない。ノウハウの蓄積でアマゾンにかなう企業は残念ながら日本にはないからだ。
恐らく5年以内には、アマゾンが医療機関や介護サービス業者と手を組み本腰を入れて日本の在宅医療と在宅介護の分野向けに進出するのではないかと思う、というよりも、願う。
それほど在宅医療と在宅介護をどうするかは身に迫った課題だ。
終活人コラム
公的年金支給開始年齢を70歳以上にするという案がある。
なんでも一億総活躍社会の実現に年金支給年齢の引き上げをセットにしたらどうかということでの話のようで高齢者にも出来る限り働いてもらえる社会をつくるから生活の糧は年金にたよるのではなく労働から得てくださいということらしい。
「冗談じゃない」と思う人は少なくないだろう。
それは「高齢になってだれが雇ってくれんだ?」ということに納得できる説明が不足しているからだろうか。
しかし、あたりを冷静に見てみると高齢者だからこそ「こういうサービスがあったらいいのにな」と思うことがないだろうか?
人によっては40年間も同じ企業で働いてきた人もいて起業というのはピンとこないかもしれない。
でも、公的年金の受給開始年齢が70歳以上になるかもしれない現実を前には、将来の生活の糧を得るための何かを考えておくことも大切なようだ。
事実、60歳を超えて初めて起業する人も増えていると聞く。
「これは仕事になるのでは?」
そう考えてのことだろう。
されば一億総活躍社会の掛け声は、高齢者の起業家育成の扉の”Open Sesame”なのかもしれない。
終活人コラム
ある意味、働く人の権利を犠牲にしてきた日本の宅急便も変革の時代を迎えた。
マスコミの報道を見る限りこれから宅急便の料金は高くなるし、利便性も悪くなる。
一見、老後生活とは無縁のように思える宅急便だが物流コストの増加が老後生活に与える影響は少なくない。
公表されている宅急便の値上げを物価に当てはめると老後の生活コストは上昇、特に注意が必要なのは消費税率が現在の8%から10%に上がるタイミングと重なると老後の生活コストはさらにアップすることになる。生活コストがアップすれば、生活が苦しくなるのは言うまでもない。
というのが今回のヤマト宅急便料金値上げなどを考えた悲観的な将来予想だ。
しかし、個人的には今回の宅急便の変革が私たちの在宅医療や在宅介護にとって逆に明るい未来を提供してくれるきっかけになるのではないかと楽観的に予想している。
何故、楽観的なのか?
それは、その明るい未来の実現の中心的な役割を新しい物流サービスによってネット通販の巨人アマゾンが果たすのではないかと思っているからなのだが、詳しい内容は、次回以降のコラムで書きたいと思う。
終活人コラム
自宅を売却して賃貸に住む。
老後に備えるためには有効な手段だと思う。
私も3月に自宅を売りに出し、賃貸住宅に引っ越しをしたのだが、何故?と人は言う。
大きな理由は介護保険等の国の高齢者介護の方針動向に尽きる。
前回のコラムでも書いたように施設介護から在宅介護への国の高齢者福祉政策の潮流はとまることはない。
この流れに逆らうことができるのは自由に住む場所を選択できる充分な老後資金を有する一部の人だけで、私を含めて大多数の人はこの潮流に逆らうのは難しく、どこに住めば在宅介護ができるのかを中高年になったら早めに考えておく必要がある。
そこには「あなたは持家派か賃貸派か?」というような従来のような損得勘定での比較ではなく、どのような住まいであれば親の在宅介護ができるのか、あるいは、自分が満足できる介護を受けられるかという介護勘定を優先して考えるべき時代を迎えたのだ。
ちなみに、私が移り住んだのは、買い物施設徒歩2分、図書館徒歩2分、デイサービス型介護事業者徒歩2分、医療クリニック集合施設徒歩2分、大型薬局施設徒歩5分、1周500m公共ウォーキング施設徒歩2分、どの施設へも坂道のない平坦な車道と歩道分離道路で結ばれた東南角部屋3DK(約60㎡)の賃貸住宅、家賃と駐車代は月額7万円なので、今後、介護保険制度改正でさらに介護費用の負担が増加することを想定しても問題のないレベル。
また、移り住んだことで電力自由化の恩恵を受けられた。
具体的には、東京ガス供給エリアの住宅なので、電気・ガス・インターネット接続のトリプル割りで光熱費通信費コストが約2割ダウンしたことだが、こうした節約メリットも移り住む場所によっては、供給エリア外でメリットを享受できないこともあるので住みかえる際のチェックポイントとして押さえておきたい。
いい物件は数に限りがあるので自分の将来の住まいを早めに考えることをお勧めしたい。
終活人コラム
終活セミナーで関心が高いのが介護に関するテーマ。
2015年の見直しで厳しさを増した介護保険。2018年の見直しはさらに厳しい内容になるとされ、施設主体介護から在宅主体介護という流れは加速しそうだ。
「自宅介護をどうすれば実現できるのか?」を真剣に考えることがとても重要な時代を迎えている。
買い物も便利、デイサービスなどの施設も近く、公園もというような理想的な環境が整っている住宅地はそれほど多くない。また、そのような環境の整った町をそんなに簡単にはつくることはできないので、今後は優良な環境の整っている住宅地の需要はさらに高まると思う。
親と同居している人は早い段階で在宅介護を視野に住み替えを検討した方がよさそうだ。
「まだ、大丈夫」ではなく「遅いかな」くらいで親と自分の老後を見つめるべき時代になった。
終活人コラム
老後に備えて倹約してコツコツと貯めたお金が一瞬で無くなってしまう。そんなことが、日本のどこかで毎日のように起こっている。
失ったお金は戻らないだけでなく、被害を受けた高齢者は自分を責める。
それでも生きていかなければいけない。最悪、生活保護に頼らざるを得ない。
「どうにかできないか?」と考えて1年あまり。それでも、縁はあるものだ。
参加したセミナーで信託法に触れ、これは使えるかもしれないと思った。
そして、家族間信託を前提にしたFP&リスク診断サービスができた。
一人でも多くの高齢者に役に立てることを願う。
終活人コラム
平成28年10月から公共公益団体が主催する終活セミナーに特化した講師サービスを開始した。
これまでの終活セミナーの概念とは異なる日本初のコンセプトの終活セミナーと自負している。
実は、もっと早く出来なかったのかとも思うが、これまでの終活セミナーで欠けていたものというより気づかれていない内容とは何なのかが漠然としていて自分の中でイメージとして固まるのに1年近くかかってしまったからである。
この間、縁故者の紹介で終活セミナーなどを開催してきたが、参加される方の話を聞くと自分の財産がどうということもあるが、それよりも自分の作ってきた作品や写した写真、あるいは技術をどうやって残せるのかなどに困っている人が少なからずいた。
それで、調べてみると確かに地域の手芸・工芸・研究などすばらしい作品や成果などがあるが、Webの作り方がいわゆる昔のhtmでパッとしていない。
これが今のテクノロジーのHTML5を利用したWebだったらきっと見栄えが凄いのにというものや、あるいは、これ写真集にしたらいいのにという手芸・工芸作品もあった。
ともかく日本は世界最速で高齢化が進みあと20~30年後には2000~3000万人が日本からいなくなってしまう。当然、私もこの中の一人。
どげんかせんばいけん。
かつて某知事が放った方言だが、本当に今の日本は地域レベルの無形文化財の素敵な人々の作品とか研究とか思いとかがレガシーとして残ることなく消え去ってしまう。
平成28年10月から公共公益団体が主催する終活セミナーに特化した講師サービスは、そんな危機感からスタートする。
終活人コラム
パラリンピックの閉会式を迎えリオのオリンピック・パラリンピックyearが終わった。
開催前に大騒ぎしたジカ熱や強盗被害など、一部では確認されたが全体としては杞憂だった。
どちらの閉会式でも目立ったのは次期開催国の日本のプレゼンテーション。
オリンピックの時は日本のアニメが登場、登場したキャラクター以外にも多くのアニメキャラクターがいて改めて日本アニメのソフトパワーの強さを感じたのだが、個人的にはパラリンピックの閉会式の方が印象的だった。
しょうがいであることを強みにした3人のアーティストが表現した世界、凄いと思ったが、椎名林檎がプロデュースと知り「流石」。
あと4年後に迫った2020年の日本のオリンピック。
東京が生まれ変わることで世界最速でつき進む超高齢化社会の未来をも変わることを期待したい。
終活人コラム
身体の具合が悪くなり地域の医師に診てもらうことになった。
幸い軽度で一週間ほどすれば治ると言われ一安心。
年の頃は30代だろうか、良い先生だった。
尊大な態度をする人や患者の理解度を確かめずに難解な医療用語を使う人。
ありがちな先生とは違った。
判りやすい説明と真っすぐな眼差し。
内心「こういう先生もいるんだな。出会えてよかった」そう思った。
良医師に勝る良薬はない。
終活人コラム
都知事選挙が終った。
候補者の勝因、あるいは敗因を探る報道も少なくない。
しかし、既に有権者の関心はそこにはない。
期待しているのは、新しい都知事が何をするかということだけでなく何をしてはいけないかをわきまえて仕事をして欲しいということだと思う。
ある高齢の方と話しをした。
話題はオリンピック。
「年も年だしオリンピックをみたいけど自分はそれまで生きれるか。ほんとにそう思うね」
そう言ったすぐ後で
「あの人(小池新都知事)はどんなオリンピックにするのかねえ。それは見てみたいね」
人の生きがいたるオリンピック。
終活人コラム
難聴になると認知機能低下リスクが高まると言われる。
難聴だけでなくいわゆる五感の機能低下と認知機能の低下にも関係があるとも言われている。
そう聞けば、何かをしなくてはいけないと思ってしまうのは誰しも同じだが、何をどうすればいいのか曖昧で漠然としている。
そこで、花の観察を通じた五感機能低下を防ぐ方法を紹介したい。
例えば、ひまわり。
ひまわりはほのかな匂いも花の盛りがピークを過ぎると匂いはやや強くなる。この匂いに誘われるようにひまわりの花の蜜を求め寄ってくる蜂を目で追い、飛ぶ蜂の羽の音を聴き、ひまわりの中心のタルタルの蜜を指でつついたりちょっと舐めたりしてその感触を確認したりする。五感で楽しむ花観察を四季折々の花で親しみたい。
終活人コラム
子宮頸がんワクチン接種で副作用被害を受けたとして若い女性たちが集団訴訟をおこした。
ただ、なんともやりきれない。
薬害エイズ問題がその解決に長期間かかったことを考えると、子宮頸がんワクチン集団訴訟もこれから長期に亘る裁判になることはある程度予想できるからだ。
この問題は決して他人ごとではなく、老若男女に関わらず私たちはいつどのような病気になるかわからない。
誰もが口にするような風邪薬でさえ服用次第では取返しのつかいことになることがある。
彼女たちの集団訴訟が意味するものは、私たちも同様のリスクを常に抱えて生活をしていることだと思う。
終活人コラム
ポケモンGOが公開になった。
政府も異例の注意事項を発表する話題のバーチャル+リアルフィールドゲームだ。
このゲームをわかりやすく言えば、宝さがしゲームなのだが、私たちが連想するこれまでの宝探しと異なる点はスマホの画面に映し出される私たちの生活画像の中にポケットモンスターのキャラクター(ピカチュウなど)が現れそれを捕まえる点にある。
「事故を誘発する危険なゲーム」と危険性を訴える人もいれば、「いやいや、実際に引きこもりだった子どもが外で遊ぶきっかけになった」など一足先にこのゲームが公開となっていた海外での事例を評価する人もいる。
ただ、ひとつ考える必要があるのは、このゲームで遊ぶ子どもや孫を持つ親や祖父母の保護者にとっては、子どもや孫にきちんとゲームの遊び方のルールを教えてあげないと法的責任が生じる懸念がある。
例えば、このゲームに興じて、不意に道路を走り出して高齢者等にぶつかりケガを負わせた場合、保護者の責任(=ゲームの遊び方についてきちんと教育をしていたか)が問われる可能性が高い。これは子どもの自転車事故で保護者が高額な賠償責任を負うことになった昨今の裁判結果からも想定されるリスクで、しかも、やっかいなのは個人賠償責任保険の補償対象外になる可能性もある。
だからこそ政府には保護者向けの注意喚起も積極的にしてほしいと願う。
終活人コラム
「想定外の事態」という言葉、聞き飽きた人は多いのかも知れない。
大雨で鬼怒川が氾濫、流される家々、なす術もなくそれを見ているしかない無力感。
予報や予想は大切かもしれない、でも、そうしたことにお金を使うなら被災者支援にお金を使ったほうがいいという声も少なくない。
何が正しいのかはわからないけれど、家を流され何もかもなくなった人のこれからが心配。
食い入るように見ていたテレビニュース、そこに電話のベル。出るとかつて住宅購入のアドバイスをした方からだった。
「今回の大雨で当初購入を検討していた土地が浸水、大変なことになった。でも、あんたが、それよりも高い場所を選んだほうがいいと言ったんで、それで助かった。ありがとう」。
電話を切る。複雑な思いがした。
終活人コラム
豪雨による「想定外の事態」は宮城県でも発生した。栃木県、茨城県に続く被害。
雨雲が次々に現れて大量の雨を降らせる。記憶では平成26年8月の広島の豪雨による緩んだ地盤が崩落、土石流によって多数犠牲者がでた災害も今回のような連続した雨雲がもたらした大量の雨が原因だったと思う。
今回の災害では、未だ行方不明の人が約20名とのことだが、一人暮らしや身寄りのない人がたまたま旅行で被災地を訪れていたかもしれないことを考えると、知られていない行方不明者はもっと多いのかもしれない。
少しでも何か自分でもできることはないのだろうかと考えていたらヤフーの災害募金を見つけた。Tポイントでの募金、クレジットカードでの募金もできる。
被災地では、秋から冬へと季節が移り行く、家をなくした人々は着るものはどうするのだろうか?
買ったものの一度も着ていない服9着手元において送り先をネット検索し始める。
終活人コラム
終活関連資格をとり活躍をしたい。頑張っている人は多い。
私も、終活の資格とはどういうものなのかを知るために参加した講座で日本全国から集った人と話ができた。例えば、
「私の住んでいる市でもエンディングノートの書き方についてセミナーが開かれたりしていて、それで、終活について勉強したくてここに来たの」
「そうなんですか、で、どうなんでしょう?そのエンディングノート書き方のセミナーのようす」
「100人くらいいたかな、エンディングノートを1冊渡されて書いていく、時間に限りもあるし、お年寄りだとついていくのがやっとっていう感じ」
「それで、その書いたエンディングノートを書いた後はどうなるんですか?」
「書いたあと?エンディングノートの書いて、時間がきたら帰る。そんな感じ」
それが現実?終活人Webを開設するきっかけになったやりとりである。
終活人コラム
知り合いから電話。夫婦2人、子供なし。ご主人の体調が思わしくない日が続いているという。
「今すぐ、どうということはないけど、万一の時はどうしたらいいかと思って、夜も眠れない日もある」
聞けば、病院の診断が少し違うのではないかと思うとのこと。終活相談を受ける立場では医療について軽々に何かを言うことはできない。
それで「セカンドオピニオンを利用してはどうですか?」と提案した。セカンドオピニオンは、今では誰もが知っているのかと思っていたが反応は違った。
「何?それ」
セカンドオピニオンのことを説明すると、「ぜひ、相談したい」ということだったので、セカンドオピニオンを利用できる先の資料を郵送すると伝え電話を切った。
改めて思う。自分が知っているからと相手が知っているとは限らない、こんなの常識かなと思っても相手もわかっているとは限らない。「ご存じですか?」と言える勇気が大切だと感じた。
終活人コラム
ボールの上でトドが跳ねている。
自分でも、思う「どげんばせんといかん」。
きっかけは、部屋の整理をしているときに見つけた昔のパスポート。
「え?これ俺?」、今とはあまりに違う風貌。時間とは残酷である。
それで、少しでも昔に近づくために始めたのがボールを使ったエクササイズ。
以前、テレビでこういうエクササイズがありますよと紹介していたときに「何これ」と思って内心馬鹿にしていた。
ところが、自己流にせよ始めてみると、テレビを見ながらでもできる手軽さがやみつきになった。
「お前がそれをやっているとトドの曲芸みたいだね」と母は笑う。
それでもひたすら頑張っているが、抜けにくいはずのボールの空気が抜けていく、自己嫌悪に陥りながらも空気入れで空気をつぎ足しトドはボールの上で跳ねるのである。
終活人コラム
10年後、振り返ってみれば2015年9月は日本のターニングポイントだったとされそうだな、そう予想している人は少なくないと思う。私もそのひとり。
理由は、書くまでもなく安保関連法案。
Twitter を始めてもうだいぶ経つが、この法律が国会で審議される以前は、政治的なツイートを目にすることはなかった。せいぜい、消費税率が8%になった時に「高くなった」というようなツイートだけだった。
でも、今回、少し様子が違う。およそ政治とはかけ離れた趣味のツイートの場でさえ「反対」とか「賛成」を目にする。
多数を占める与党によって、よほどのことがないかぎり安保関連法案は成立するだろう。
ただ、Twitter などのSNSは人々の暮らしの中に根付き、「反対」を掲げる人はそれを手段に「選挙」を求め、その意思を貫く姿勢を示すのは疑う余地もない。
SNSが政権を揺るがす存在になった年、10年後、そんな記述が歴史の教科書に刻まれるのかもしれない。
終活人コラム
終活に適齢期があるのだろうか?
人の寿命は誰にも分からない。自分もいつどうなるのかわからない。
潜在化している病に倒れるかもしれないし、何かの事故に巻き込まれるかも知れない。
そう考えるとある程度先が見通せる年齢になった時が終活の適齢期というのは少し無理があるように思う。
だから個人的には、終活は「あなたのご家族全体で取り組む必要があります」という投げかけをしていこうと思う。
時に反発を受けることは予想ができる。
「終活を考えるような年齢ではない」というような当たり前の反発。
それでも、私にの終活に適齢期はないと思う気持ちの方が勝っている以上、「終活はご家族全体で取り組むテーマではないでしょうか?」と溝がほれたCDのように繰り返していこうと思う。
終活人コラム
靴は大切だと思う。特に、極度の扁平足の私にとってどういう靴を選ぶかは重要なこと。
ところが気に入っている靴が製造中止になったようでどこにも売っていない。やっと見つけて注文すると品薄なのか以前買ったときよりも5割増しくらいの価格になっている。
「どうしようか?」普通の人なら迷い、そして、止めて別の靴を買うかもしれないが、極度の扁平足の私にはその靴しか見えない。迷いなくネットショッピングで「ぽち」と購入。
早い、翌日には商品が到着した。箱から取り出し、古い靴はゴミ箱へ。
翌朝、出かけるために靴を履こうとした時、「ん?」致命的な欠陥を発見。やむなく箱に収めて返品。製造中止になっているので交換品到着はしばらく先になるらしい。
そして、履いているのはゴミ箱へ捨てたはずの靴。「しばらく履き続けよう」そんなことを思っている。
人は誰もお気に入りがある。終活相談を受けるとき「お気に入りのものはありますか?」と尋ねるようにしている。
そこには、その人しか知らない理由・事情がある。そしてそれらもその人のヒストリーの一部。
終活人コラム
米国が利上げを見送った。この背景の要因のひとつにイラク・シリアの問題があるようだ。
現在、イラクとシリアの問題の最前線で防波堤になっているトルコが米国利上げ観測で深刻な通貨危機に陥っている。
トルコには有志連合の拠点があり、米国との同盟関係を鮮明にしている、今回、米国が利上げを強行していたらトルコ通貨安は一気に加速、トルコ国内は大混乱になっていた可能性が高い。
一見、終活とは関係なさそうなテーマであるが、FOMCがいつ利上げするかは終活に関心の高い世代には年金問題となって波及してくるため無縁ではなく目が離せない。
一方、格付け会社S&Pは日本国債の格下げを発表した。日本の借金1000兆だが(国民の)資産1300兆だからいよいよになったら徳政令を発動して借金をチャラにしちゃえという恐ろしい考えをする向きもあるが、このまま格付けが下がり続ければそれもあながちあり得ない話ではなくなりそれも年金問題としてはね返る。
私たちの終活は揺さぶられ続けるのだろうか?
終活人コラム
進撃の巨人が封切られた。アニメの実写化がどの程度のものなか興味があるが、評判は悪くないようだ。
何故、進撃の巨人のことを書くかというと、ずっと前、巨人の兄弟がいて弟が人を喰らうので兄がそれを阻止するという映画があった。
なんという映画だったが未だに題名を思い出せないが、当時、その映画を観たときに怖くて怖くて眠ることができず、両親の寝床にもぐりこんだ記憶がある。
人の記憶は自分でも気づかぬうちに封印されやすいそうだ。淋しさだったり、恐怖だったり、孤独だったり、様々なことが原因で人は頭の中の記憶を消し去り自分の身を守るシステムがあるそうだ。
故に、終活相談をうける時、こういうシステムが私たちには存在することを理解した上で相談者の相談をうけるようにすることは大切だと思う。
話をして、何かの話題の時、少し相手が躊躇したり、困惑するような素振りをみせたらそれが合図だと思う。
「話したくないことは話さなくても大丈夫ですよ」
私たち、人の終活に携わる者はそうした配慮のある心遣いが必要とされている。
終活人コラム
ドローンが必要か必要でないのかという議論があるが個人的にはドローンは必要だと思う。
例えば、建物や橋梁などの状況をドローンを使ったチェックはできそうだ。また、人が行けない場所の環境確認などもできそうだ。
ただ、弊害や危険はある。飛行物なのでバッテリー切れ、電波切れ、風のあおり、操作ミスなどによる落下で、こうしたことを起こせば当然操作していた人は賠償責任を負うのは自明だ。
例えば、個人が趣味でドローンを飛ばしていたら操作ミスで他人の家の屋根に落下、損害が発生、10万円程度の賠償責任が発生したケースを考えると、個人として加入できる賠償責任保険は個人賠償責任補償保険だが、この保険は日常生活の賠償責任が対象でドローンが日常生活に入るのかというと、恐らく保険会社は日常生活外として保険金は不払いとする可能性が高い。つまり、個人がドローンを飛ばすことは、賠償責任リスクを承知の上で飛ばすということになる。
損害屋根や車ならそれほど高額な賠償責任ではないかもしれないが、運悪く人に損害を与えた場合、話が全く違う。
例えば、落下したドローンがぶつかり転倒、運悪く死亡というようなケースでは最悪億円単位の民事の賠償責任と刑事の過失傷害などのリスクもあり、終活のライフスタイルにドローン活用を考えている方は充分に注意が必要だ。
終活人コラム
終活人が考える終活はどちらかと言えば未来に軸足をおいた終活。
例えば、Aさんがエンディングノートを書いた翌日にAさんが亡くなるということは可能性としては少ないと思う。
むしろ、エンディングノートを書いて、「ああ、これはまだやっていない」とか「ああ、これもまだやっていない」というようなことに気づき、これからのライフプランをどうしようとか、これからのライフスタイルはどうあるべきかなどを考える、こういうケースの方が多いのではないかと思う。
終活での整理・準備は必要。でも、いくら整理・準備をしても私たちには明日はまたやってくる。
明日をどう生きるのか?
終活において大切で重要なテーマであるが、私たちは先人の生き方に学ぶことができる。
伊能忠敬は50歳を過ぎて測量に必要な知識を学び55歳を超えてから日本全国を歩き、『大日本沿海輿地全図』を作成(地図完成は没後)したことはつとに有名だが、それにもまして、天明大飢饉(1780年代)の際、私財を投げうち多くの人救った50歳前の彼の貴い生き方があってこそ50歳以降の生き方がある。
伊能忠敬以外にも、先人から学ぶべきライフプランやライフスタイルは少なくないので、折にふれて紹介したい。
終活人コラム
ラグビーWカップで日本が勝利したことは誰しも知るところ。
でも身近な人にラグビーやっている人がいるかというと「知らないな」という人もいるかもしれない。
私も、現役でラグビーをしている人は知らないが、でもラグビーOBの人は何人か知っている。
彼らOBが際立っているのは現役を離れても先輩・後輩の関係がしっかり保たれている。
「先輩には頭が上がらない」「先輩の言うことだから仕方がない」彼らの口から何度となく聞いたセリフ。
でも、不思議なことにそのセリフに違和感はなく、自然。何か、陰湿ないじめの結果の先輩・後輩という関係ではなく、激しいスポーツだからこそ試合が終わればノーサード、その精神を叩き込む、叩き込まれた先輩・後輩の関係、そんな印象。
強固な先輩・後輩の関係は社会人になっても変わらない。ある業界や会社ではラグビー部出身者を優先して採用するところもあるとのことで、理由は、言うまでもなく際立った体力と組織の規律が保たれるということだ。
迎える第2戦、相手は最初からフルスロットルで挑んでくるに違いない。
勝っても負けてもジャージーの胸に抱く桜の花が世界を魅了する試合であれと願う。
終活人コラム
癌宣告を受けた時、自分はどうするか?
誰しも一度は考えることがあると思う。
「病名は乳癌です」
北斗晶さんはブログにそう書いた。
続けて、彼女は、ありのままにつづる。
その心境と彼女の決意。
かみしめたい。
がんばれ!北斗晶さん
終活人コラム
「あの子は自分の血を作れない」
そう言ったお母さん。
私は、病床のカーテンを開けた。
彼はいた。
が、彼はいつもとは違っていた。
彼は最後の力をふりしぼり、私の手を握りしめた。
考えてみれば、あの時が最初で最後だった。彼との握手。
そして彼とはそれが最後になった。
「絶対治りますから」少し前、元気そうに彼は言っていた。
だが、それは、嵐の前の静けさのように見せかけた癌という病の怖さに他ならなかった。
相手が弱ったとみたら一気に。
彼は逝ってしまった。
あれから10年以上が過ぎた。
数日前、ベットに横たわる少しだけ微笑むような写真を見て心配だった。
そして、彼女も54歳で逝ってしまった。
ご冥福を祈りたい。
終活人コラム
ドイツのフォルクスワーゲン社が揺れている。
前例のない規模の偽装工作、例えは悪いが、国産でないウナギの検査用のDNAを国産ウナギのDNAで検査を受け「国産です」偽装するようなもの。
フォルクスワーゲン社製の車との出会いは10代の頃に遡る。
当時、フォルクスワーゲンにはタイプI~までの異なる形状の車があり、特にカブト虫のような形状をしたタイプⅠを改造するのが流行っていた。
乗っていたのが6ボルトのタイプⅠ、電気系統が非力でウィンカーすら心もとなく点滅、追突されるのを防ぐため曲がる方のラインにギリギリまで寄りウィンカーを出すようにしていた。
後続車は「あ、あいつずいぶん端によるな、あれは?もしかしてウィンカー?」微かな点滅。エアコンもなく真夏は地獄、走行中は涼しいが渋滞での暑さと息苦しさ半端なかった。
その後、同社は、味のある車の形状を捨て普通の車を作る自動車メーカーとして日本では同社製ゴルフ車が2013-2014 日本カー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。
今回の偽装工作事件は、同社だけでなくドイツの国の信用さえも失墜させてしまったのは本当に残念だ。
エンディングノートの片隅に「当時、ワーゲンタイプⅠに乗るのが楽しみだった」と書いた私には辛い。
終活人コラム
「魚うどん」。
成人病予防にこれからのキーワードになるかも知れない。
最近、夜は魚うどんしか食べないが、以前と比べて何となく体調が違う。気のせいかと思って数値をはかると確かに違う。5%くらいは健康診断の数値が改善している。
作り方は、サバの缶詰と小麦の強力粉を混ぜ20~25回うどんのように練る。練ったキジをうどんのように切り、汁に投入、煮込む。
味のベースは醤油味、カレー味、チリソース味、クリームシチュー味、トマト味、みそ味など様々な風味に合う。
コストは、サバ缶詰が100~150円/食、小麦粉20~30円/食、その他野菜100~200円/食で2~3人前なので、ひとりあたり100~150 円程度、腹持ちもとてもいい。
注目したいのは、サバ缶詰に含まれているDHAとカルウム、これを毎日食事として摂取できるのは認知機能の低下を抑止したり、骨粗しょう症抑制効果もありそうだ。作り方も簡単で、料理が得意でない人が適当に作っても失敗なく作れそう。
平成27年10月、怒涛のような消費商品の値上げラッシュがあるらしいが、安い、簡単、美味いの3拍子そろった「魚うどん」が脚光を浴びる予感がする。まだ試していないけれど、具材的には魚うどんグラタンも美味そうだ。
終活人コラム
昨日、中秋の名月、そして、今日、9月28日はスーパームーン。
昨年、2014年はスーパームーンは3回に対して今年2015年のスーパームーンは今日だけ。
そして、スーパームーンよりもさらに大きく月がみえるのがエクセレントスーパームーン。
でも、これは2030年とのことで10年以上先。
竹取物語にあるように古来より日本人は月に特別な感情を抱いてきたので多くの人が夜空に月を眺めるに違いない。
一方、英語で「月の~」というとlunar、そこから派生したlunaticを訳すと狂人/変人などと訳される。
このことからも情緒とは程遠い感覚で月を眺めている(正確には「いた」)ことがうかがえる。
2016年以降のスーパームーンは次の日程になっているとのこと。
2016年11月14日
2017年なし
2018年 1月1日
2019年 2月19日
2020年 4月7日
2020年までは2017年を除き毎年見ることができるものの、それ以降はなかなかみることができない。
だからこそ今日の月は見逃せない。
終活人コラム
円安以来、日本を訪れる外国人は急増している。
特に、京都をはじめ名だたる観光スポットには外国人が多く、日本人がゆっくりと日本人的な情緒を楽しみながら過ごす風情がないとも聞く。
人づてに「あそこは外国人ばかり。すっかり変わった」と聞くと訪れることをためらってしまうのは私だけであろうか?
そこで、今、個人的にはまっているのが地元の名もなき観光名所を探す旅。
何しろ日本は古き歴史ある国。
○○の碑、××の寺など普通なら通り過ぎてしまうような目立たぬ場所に歴史の跡がある。
そうして家に帰り調べてみると、そこは市民歴史家の方々が「この〇〇の碑は西暦××年頃・・」というような解説とともに写真が掲載されていたりもする。
情報の更新時期を見るとだいぶ前、ことによると既に他界されている市民歴史家の方もいるのかも知れない。
もし、そうであったとしても彼らが市民歴史家として生きた証はインターネットの世界には残っている。
終活相談を受けると自分のブログなどをどうしたらいいのかという質問を受けることがある。「人が見て役立つ情報があるならば、そのままになさってはどうでしょう」と伝えたい。
終活人コラム
午前6時、起床して窓を開けた。
ひんやりとした空気、秋を感じる。
毎朝、歩く道すがらたわわな柿の実の日に日に深まる色を見ても秋を感じる。
コスモスの花、うろこ雲、紅葉。
役目を終えた扇風機を片付けながらいまさらながら思う。
年々、めぐる季節のスピードは増している。
「残された時間はもうないよ」
そうせかされているのか?
工夫を凝らしていこう、手がけた仕事、そして趣味。
今さら新しいものには抵抗を感じるが、やってみないと価値はわからない。
人が集うところに出かけて取材してみよう。
公民館、体育館など、どこにでも取材先はありそうだ。取材して、まとめて、整理して、情報化する。さてどうしたものか。
ぶるっと震えて窓を閉める。
これが今朝の私。
秋晴れの9月30日、いろんな人がいろんなことを考えながら朝を迎えているに違いない。
終活人コラム
今日、10月1日はマイナンバー制度導入に向けたスタートする日である。
「マイナンバーって何?」母が聞く。
「ひとりひとりに番号をつけて、その番号で年金・税金などを管理する仕組だよ」と答えた。
「ただ、この番号は大切な番号なので、悪いことを考えている人はこの番号を聞き出そうとするかもしれない。だから、役所などと偽って送った番号が間違っているかもしれないので確認したいなんて電話がかかってきたらそれは嘘だから気を付けて」と付け加えた。
マイナンバーの悪用というのが事例がないために推測でしかないが、例えば、「あなたのマイナンバーが悪質業者に登録されている。削除したい場合は費用がかかる」など従来からあるような手口を模したものや創造できないくらい巧妙な新手の手口も登場するかもしれない。
時代に即した制度導入はやむを得ないかもしれないけれど、終活に関心が高い世代には用心の上に用心に越したことのないマイナンバーであることには違いないようだ。
終活人コラム
終活は自分の終の棲家について考える時でもある。
人によっては、田舎暮らしに憧れて街の中心から離れて自然豊な地に移り住むことを考えている方もいる。
ただ、この時、気をつけなければいけない点がいくつかあり、自分をとりまく状況を充分に考えずに移り住むと後悔する可能性もある。
例えば、一般的な人は65歳を超えると急激に体力などが低下、元気な人でも70歳を超えたころから感じるようになるそうだ。
そのため、どうしても健康のことを考えなければいけない面がある。
例えば、持病が悪化して月1回くらいの通院であったのが週1回通院が必要になる
ことを想定、移り住む先の医療機関がどの程度はなれているかなどを実際に下見するなどをしておくことは大切。
また、買い物施設が近くにあるか、そこへ行くまでのルートや高低差など大切。
その他、これだけは自分にとって欠かせないという条件項目を漏らさずにリストアップ、リストの8~9割の条件を満たす場所であれば終の棲家としても後悔することはないと思う。
終活人コラム
2020年、東京オリンピック開催、そして、その前年の2019年にはラグビーのワールドカップが日本で開かれる。
そのため、2019年~2020年にかけては、これまでになかったくらいの多くの人が海外から日本にやってくる。
準備は整っているか?と自分に問いかけてみる。
実は、その時期にあるイベントを開催したいと考えているのだが、残された時間はあまりない。
2015年も10月に突入、3ヶ月を残すのみとなった。そうしたことを考えると、「本当にできるのだろうか?」と自信のない自分が前面に出てくる。
終活の取り組みは、人それぞれだが、考えてみれば2019年~2020年のように世界的なイベントが立て続けに開催されるチャンスは少なくとも生きているうちは2度とやってない。
イベント開催に向けた青写真さえかけていない今ではあるが、2019年~2020年を何かの挑戦の時と考えて頑張っている人と分かち合いたい言葉がある。
成せばなる成さねばならぬ何事も。
終活人コラム
前回のガイアの夜明け、タンスに眠っている和服を活用した取組を紹介していた。
「終活しているから着ることのない和服を引き取ってもらう」という和服を業者に渡す方のコメント。
違和感がした。
何故、終活=整理や捨て去り、処分ということになってしまうのか?
終活のイメージってこれでいいのかな?
そんなことを考え開設したWebサイトが「写真de終活」。
私が終活に抱くイメージは、その人その人が生きてきた証を何だかの形でもがきながら遺すための努力をする活動。
人の話を聴く、すると意外なことが沢山ある。およそ人には程度の差こそあれ”得意・特技”がある。
例えば、印鑑を上手に押すことが出来る人、一見簡単そうだがそうでもない。私などは朱肉のつけ方に配慮がなく字潰れ「すみません。押しなおしてください」なんども言われたことがある。
だが、その人は違っていた。印影が美しいくらいに整い、綺麗。何度押してもそうなるだという。
聴けば、上手く推すように自分なりの作法があるという。
私は、思う。
その作法を遺す方法を考えることがその方にとっての終活だと。
終活人コラム
自宅庭にコンポストがある。
究極のエコ商品として一時は流行ったが、これはやはり難がある仕組みだ。
コンポストは、生ゴミが微生物によって土になるというものだが、土になるのにかなり時間がかかる。
また、無臭というわけではないので虫がわく。
結論から言えば、こうしたものをつかうよりも生ゴミがでないような工夫をする方が先決、かつ合理的だと思う。
例えば、野菜については、切て捨ててしまう部分はスープ用にしてできるだけ捨てる容量を減らす、魚は骨のでない魚をメインにしたり骨をから揚げにして食べてしまうなど。
最初は便利だと思ってもコンポストのように後から欠点が見えてくるものは案外多い。
駄目なものは駄目と割り切ってしまうしかない。
終活人コラム
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授、IPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授とイメージが重なる。
その謙虚な姿勢と眼差し、日本人として誇らしい。
「あの子は勉強なんて出来なかった。兄弟でも一番できなかったと思う」お姉さんのコメントに何だか安心した。
神童と言われながら大成せずに終わってしまった人は多いように思う。
むしろ、後先考えずに何とか人のためになることはできないか?を考え行動した努力型の大村さんや山中さん。
安保法案で日本の進むべき道が問われたここ最近の日本。
だが、大村さんや山中さんのようにさすが日本人という研究者をみると安全保障の新しいかたちがあるように感じる人は多いと思う。
終活人コラム
「やっちゃえ日産」と矢沢永吉が語るCMが人気だそうだ。
そこでやっちゃえ!ということを終活という視点で様々なことを考えてみるとチャンスは意外に多い。
例えば、すったもんだの挙句に再選考となったオリンピックのエンブレム。
選考委員も刷新されて透明性のある選考が期待できるようになっただけでなく参加基準も分かりやすくなりそうだ。
2020年のオリンピックは選手だけでなく公式ボランティア、非公式ボランティアなど考え方次第で何だかのかたちで参加をすることはできる。
このエンブレム応募もそのひとつ。
10月中旬、オリンピックのエンブレムの募集要項が発表される。
募集基準を満たしているならば、個人的には人生の集大成として応募したいと思う。
やっちゃえ!終活である。
終活人コラム
第三次安倍内閣が発足した。
そこで注目されるのが一億総活躍相という初めての大臣呼称。
「なにこれ?意味不明」と野党は批判しているが、実態がわからないから批判をするよりもこういうことができないか考える方が建設的だと思う。
一般的にこういう新しいことができると予算がつく、その予算で新しいチャレンジができる。
ただ、これまでの予算は単年度予算が最大のネック。
通常、事業が立ち上がって2~3年目が苦しい時期だが、これまでの公的支援は初年度だけあるいは+1年程度の支援なので素晴らしい事業も継続できず頓挫してしまいがちであった。
現に、今回、ノーベル賞を受賞した大村氏が典型、研究資金を捻出するために米国企業と組むしかなかった。
もし、あれが日本企業や日本の公的資金で継続的な研究支援をしていたら大村さんの研究は新しい雇用を日本に生み出していたはず。
一億総活躍相には素晴らしい活動に少なくとも3年間程度支援する仕組みを作って欲しいと願う。
終活人コラム
夜明け前に起きて写真を撮りでかけた。
現地についた時、ちょうど太陽が顔を出すところで太陽のオレンジ色が強烈。
日課だろうか、既に歩いている人がいる。
「生きている」早起きして太陽を眺めると改めてそう思う。
終活の相談を受けると「退職して毎日ヒマで何もすることがない」という方がいる。
そういう人には決まって「日の出を見に行ったらどうでしょう」と伝えることにしている。
「あれから日の出を見に行って、毎日は無理だけど、朝、玄関先を掃除するようになった」と連絡をくれた人がいる。
その一方、「一度、見てみようと思っているんだけどね」という人もいる。
人の生き方は様々だ。
終活人コラム
昨日、日光の観光地に行ってきた。
中禅寺湖より高所にある湯ノ湖、中禅寺湖よりもずっと小さな湖だが葉時期の美しい風景は素晴らしい。
年々、湯ノ湖で風景を撮影する写真愛好家は増えているようだが、それにつれてマナー違反の人も増えているように感じる。
昨日も大人二人がやっとすれ違いのできる遊歩道に巨大なリュックを背負ったまま三脚を遊歩道の上に設置使用としている人がいた。
他人に配慮があるなら、まず、リュックを降ろして人の通行に妨げにならないようにして、それから三脚の二本をたたみ残りの一本を一脚代わりに使う、こうすれば歩道上であっても人が立ち止まって写真を撮っている状態になるので長時間でなければ最小限の迷惑ですむ。
ところが、その人物は、リックを背負ったまま三脚を設置して写真撮影、遊歩道は一人のカメラマンのために道がふさがれ、ご高齢者が三脚につまづくような危険な状態。
カメラの性能が向上して誰もがそれなりの写真を撮れる時代になったことは嬉しいことではあるが、撮影マナーを考えないカメラ好きが増えてしまった感があることを残念に思う。
終活人コラム
再びラグビーの話題。
ラグビーW杯、日本はアメリカに勝って3勝目。だが、一歩及ばずベスト8にはなれなかった。
それでも、日本の活躍は世界中の人々に感動を与えた。
加えて印象的なのが彼らの試合後のロッカーは綺麗だと聞く。
誰が始めたのではなく、気づけば全員がロッカーの片づけをするまでになっていたそうだ。
これはある意味驚きである。
ラグビーは国籍要件が緩く、外国国籍のまま日本代表になっている選手は多い。
生まれた場所・環境も違う彼らが、桜の花の胸のジャージーのように試合後の作法まで日本代表にふさわしい人々になっている。
日本は、高齢化社会が著しい。国の在り方を今後考える上では、日本の帰化を推進していかなければ国そのものが成り立たなくなっていく可能性すらある。
そうした中でラグビーは試合だけでなく、日本人的な作法まで魅せてくれているラグビーの外国籍選手に日本の未来を見た気がするのが今回のラグビーW杯であった。
終活人コラム
超高齢化社会の日本。
これから人口がどんどん減少する。
そうなると過疎化のとまらない地域とそれほど過疎化が進まない地域に二分されるというのはおよそ間違いない。
「退職したら田舎暮らしでもしようと思うけどどうかな」というような相談も受けるが、そうした質問をする人はバラ色でない話をすることにしている。
「嘘つき。あんたのせいでこうなった」と人は誰かのせいにすることで落ち着く。
そういうことを言われないようにするためにも「退職したら田舎暮らしでもしようと思うけどどうかな」という相談する方にはとことん厳しい現実を話す。
それでも、そのような現実があることを承知の上で田舎暮らしを選択する人もいる。
そういう人は、覚悟ができているから移住先でも自分の生き方を見つけることができる。
終活と移住、誰しも一度は真剣に考えなければいけないテーマであることに違いない。
終活人コラム
今日、ご葬儀に参列した。
90歳を超えての大往生。
人はいつかこの世を去る。でも、出来るだけ苦しまずに去りたいと誰もが思うところだが、特に苦しんだ様子もないとのこと。
亡くなったことはご遺族にとっては寂しく辛いことではあるが、喪主曰く「親族から家族に迷惑もかけることもなくこの世に別れを告げた故人のようにありたい」という声もあったそうだ。
90歳を超えていらっしゃるというと大正に生まれ、激動の昭和と波乱の平成を生きた方である。
お別れの時、拝顔させて頂いたが、苦悶はなく安堵での旅路のご様子だった。
この世を去る人のありようは様々だ。
その時、もっとも大切なのは安堵して終わりをむかえることができるのかどうかが最も大切だということを改めて考えさせられたご葬儀であった。
「どうか安らかにおやすみください」。
ご冥福を祈り帰路についた。
終活人コラム
仲間由紀恵主演の舞台「放浪記」が初舞台を迎えた。
故森光子さんがライフワークで取り組んだ舞台、約2800回の公演はロングランというにはあまりに偉大な公演回数。
だが、晩年の森光子さんの公演は最初の頃とは違って見えた。それを円熟というのかというとそれとも違う印象ではあった。
ただ「放浪記」が人の半生を描いたものであるからこそ、時間の経過とともに少しづつ変化する森さんのかたちを楽しんだ多くのファンがそこにいた。
初回公演には行くことができなかったが、仲間さんは、名場面を森さんのでんぐり返しではなく、側転で演じた。
どういう演じ方をするのか期待をもって観ていた「放浪記」ファン。
「驚きました」という感想。
仲間さんの側転がやがてどのように変化していくのだろうか?
無理せずゆっくりと公演回数森さん超えを目指して欲しいと思うファンはいるはずだ。
終活人コラム
終活人ではエンディングノートに五七五調で記入をすすめている。
理由は、五七五調でどのように表現するかというのは頭を使わないとできない、かと言って日本人には馴染みのある五七五調は難しすぎるということもない。
例えば、母への思いを
トントンと たたく大根 母の妙
というような五七五の調べで表現する。
短い文章の中に、ある時は母が作ってくれた味噌汁であったり、またある時は、母がつくったブリ大根であったり、たくさんの母の思い出がつまっている。
「エンディングノートをどうやって書いたらいいのか分からない」
そうした方に、五七五の調べにのせて書くことをお勧めしているのは、短い言葉であるからこそ、言葉を選び、表現方法を考える過程で頭の中は走馬灯のように様々な思いがかけめぐる。
そして、ひねり出した五七五は紛れもなくその方の最高の表現であることに違いないからである。
終活人コラム
塩加減は大切であると思う。
特に終活に関心の高い年齢層は塩加減には敏感だ。
先日、知り合いに連れられてとある韓国料理店に行った。
日本人が経営しているので韓国料理も日本風にアレンジされていてとても美味しく感激した。
特に塩加減がよく、濃すぎず薄すぎず、素材の味を損なうことなく最良の塩梅の料理であった。
一方、塩加減に重きにおかない店も多い。
例えば、某ファーストフード店、ハンバーガーをメインに提供している店であるがあらゆるメニューが塩辛い。
それであるが故、10年以上、その店ではハンバーグ類は買わない。もっぱらコーヒーだけである。
その会社は異物混入などで客足が遠のき、経営環境が厳しくなって様々な改革をしているとの報道があるが、未だ、濃すぎる味についての話題はない。
経営陣が、自分の舌で自分の会社の商品を食べているのか疑問、早く気づいてくれないかと願う。
趣味で写真を撮っているので時折「こんな写真を撮ったよ」と人に見せる時がある。
私にしてみれば、見慣れたシーンでも目にしたことがない人にとっては違う印象のようだ。
それで、昨日から動画を撮り始めてみた。
何らかの事情で家の外に出ることができない人に見ていただくことができればという目的。
三脚など使ったことも殆どなかったため、まず、三脚の設置に苦労しながら撮影するのだが、設置に手間取っている間に被写体はいずこかえ飛び去ってしまうことも多く、その度にため息。
それでも気長に待っていてくれる被写体もいるので3本ほどは撮影することができた。
だが、動画はそれからが勝負、PCの性能が動画編集に追いついていないので、時間がかかるかかる。
さらにそれをインターネット上に公開するのに通信環境が貧弱で時間がかかるかかる。
昨夜、11時頃に開始した作業が寝ている間に少しづつ進み完了したのは起きるのと同じくらい。
果てしない作業が続きそうだ。
最近、めっきり日が暮れるのが早くなった。
8月中旬までのじりじりとした太陽が夢のごとく懐かしい。
かつて四季がはっきりしていた日本だが、今は四季の境目が曖昧だ。
その曖昧さに最も翻弄されているのは樹木ではないかと思う。
実は、数日前、房総の海沿いを車で走ってみたのだが、松くい虫に荒らされたというかつての美しい松林は壊滅状態。
しかもその壊滅した姿が海岸線の相当な広範囲であることに驚愕した。
荒れ放題の松林の跡は一見しただけで元の美しい松林を取り戻すのは不可能ではないかとさえ思った。
このまま温暖化が進めば、四季の境目は一層曖昧になり、日本らしい景観は損なわれ続けるだろう。
だからこそ、時間がある時は、少しでも出歩いてみる必要があるのではないかと思う。
私たちの記憶に残っている日本らしい景観が完全に失われてしまう前に。
毎日のように殺人事件のニュース。
耳を塞ぎたくなる。
人のうわさも75日はもはや遠い過去の話。
次から次に流れるニュースは1日前の事件でさえはるかかなたのことのように人々の記憶の向こうへ行ってしまう。
人の一生のはかなさを感じてしまうが、それでも不思議なことに知り合いがそうした事件に巻き込まれたということは聞いたことがない。
それが縁というものなのかもしれない。
「縁がなければ人と会うことはことはないんです」ぼんやりとした記憶、どこかの寺のご住職が確かそういう話をしていた。
それがどこの寺でどういうご住職がどんな話の中でそう語ったのかすっかり忘れてしまったが、その部分だけははっきりと覚えている。
事件で遭う人との縁、いいことで会う人との縁。
運命というのとは違うような気がする。
「車をぶつけちゃった」と母からの電話。
聞けばバックギアに切り替えずにアクセルを踏み込み、道路をはさんだ反対側の家の塀につっこんでしまったということ。
こうした場合、まず、人的な被害があるのかどうかを確認する必要があるので母や他の人の怪我の有無を確認。
事故の状況を確認して保険会社に連絡すると保険証券番号や車の登録番号を尋ねられたが手元に資料もなく「わからない」と答えた。
「人から検索できませんか?」と尋ねると住所・氏名・生年月日の確認があり、続いて事故の状況をかいつまんで説明、レッカー車を手配してもらうように依頼した。
事故が起こった場合の対応方法を知っているからまだなんとかなったが、人によってはとっさのことに慌ててしまって父母の生年月日が思い出せない人もいると思う。
もし、私が、母親の生年月日を答えることができなかったら保険会社にレッカー車の手配を迅速にするのは困難だったと思う。
個人情報は大切だが、とっさの場合の本人確認の保険会社の杓子定規な対応が気になる出来事であった。
10/24にエンディングノート書き方学習講座を実施した。
この講座は、行政が主体となって市民から講師を公募、プレゼンや面接を経て、大学教授の講座学習を経て講師となり、市の広報で市民から受講者を募り、受講頂くというものだ。
実は、終活に関連した資格というのは複数存在するのだが終活関連資格を取得した後、どのようにその資格を生かしていくのかというのは難しい面がある。
つまり、資格はとったものの...というありがちなパターンだ。
それで、今回、公募~応募~講義という一連の流れを実際に体験したみたのだが、応募書類の書き方や資料づくり、また、講座の進め方や受講者への対応など確認できたことも多いので機会があれば終活関連資格を生かしたいと考えている方に参考になるような話題が提供できると思う。
ただ、ひとつはっきりしたことは、エンディングノートは買ったものの書いていないという方が少なくないことだ。
「俺は、1600円も出して買ったけど書いていない」という方や複数のエンディングノートを見せてくれた方。
やはり、エンディングノートと書き手のミスマッチは存在するようだ。
中国が主張している領有海域にアメリカ海軍のイージス艦が「公海での航行の自由」という見地から航行した。
米中間の緊張が高まる中、今日の株式相場がどうなるのか眺めると混乱もなく午前中は前日より上昇して取引を終えた。
米国と中国が対峙している海域は日本の貿易の重要な地域だけでなく、安保関連法案が可決されたことで日米安保の結束が強化され両国が衝突すれば日本も軍事的な行動に参加するかたちになるのは明らか。
その時、安保関連法案の可決がどのような意味を持つことだったのかがはっきりわかる。
また、基地移転問題で揺れる沖縄の人の米軍基地に対する考え方も一層はっきりするだろう。
いずれしても、米中関係の行方次第では日本の行方もかなり影響を受けることは間違いない。
場合によっては、私達がそれぞれ思い描いていた未来そのものが変わってしまうことも予見され心配は増すばかりだ。
先日のエンディングノート書き方講座で「2019年にはラグビーW杯、2020年にはオリンピック、世界3大イベントの2つが連続して開催されますが、それをどう終活に生かすかは大切です」というような話をさせていただいた。
参加者の反応は、終活をそうしたイベント開催と関連付けて考えていた方は少なかったようで、大きく、あるいは、小さく頷く人が多かった。
「終活は不要」とか、「間違った終活」というような意見や記事を見聞きする。
でも、人が生きてきた軌跡を振り返り、そして、これから生きていく方向を見定めることが不要だったり、正しいとか正しくないということがあるのだろうか?
かの有名な武将、独眼流伊達正宗候は、晩年、一握りの側近と隠居し家族さえ会うことなくこの世を去った。
恐らく、正宗候とも言えども、その終わりにはいろいろと苦難があったように思う。それは、身体や精神の障害も考えられるが諸説がある。
でも、隠居においては旅立ちに備えたことをしていたことは確かだ。
今でいう終活ではないだろうか。
舛添東京都知事は、訪問中のフランスで東京オリンピックで水素エンジン自動車を活用することを表明した。
一方、日産自動車のカルロスゴーン氏は、自動車の自動運転が実用化が可能になるのは今のところ日本が最も先端のポジションにあるというコメントをした。
報道では、日本の先端技術をフォーカスした報道姿勢が目立ったが、個人的には、日本のインフラがあってこそ生きる技術だと思う。
私達は、あまり意識することはないが日本のインフラとそのメンテナンスは、世界のトップレベルにあるといえる。
例えば、夜中、道路を歩き回って水漏れの音を聞き取る人がいる。目立たないけれど、そういう人がいるおかげで漏水による道路陥没を未然に防いでいる。
そうした縁の下の力持ちの人々が日本のインフラを支えていることをマスコミは最先端技術とともに伝えてほしいと思う。
しかし、また、日本の急減な高齢化による人口減の行く末には、インフラのメンテナンスも危うくなっている事実もそこにある大きな問題であることも伝えてほしい。
10/31に開催したエンディングノート書き方講座で「リビング・ウイル」の話をした。
受講者の反応として「そうしたものがあるのか。はじめて聞いた」という声が少なからずあった。
延命医療をどうするのか?もはや避けられないテーマとなっている。
医療技術の進歩により延命というだけであればかなりの長期間にわたり命をつなぐことができ、例えば、栄養チューブを直接胃につなぐ胃ろうがそれだ。
ただ、胃ろうをすればそれでいいのかというと、そうでもなく、いつか胃ろうさえも受けつけぬようになっていく、その間、患者は吐いたり苦しい状態におちいる。
そうまでして生き続けたいと本人は思っているのだろうか?という疑問。
一方、生き続けられるのであれば延命医療は必要だという肯定。
答えのない果て無き葛藤がある。
急速な高齢化が進む日本、延命医療をどうするのがいいのか。
もはや国レベルできちんとした基準をつくるべきでは?
そう思うのはわたしだけであろうか?
「私は事情で外出ができないのですが、時々、貴方のSNSページの野鳥などを見て癒されています」
というメールを頂戴した。
数年前から新しいSNSができたのを機に休日に撮影した野鳥の写真などを投稿しているのだが、それを見た方からのメール。
散策しながら風景や野鳥を眺めては写真に撮るだけだが、時に思いもよらぬシーンも撮影できたりするときもあり、自由気ままな性格にぴったりの趣味だが、正直、静止画像だけで臨場感を伝えるには限界があり、最近、動画撮影を始めた。
動画撮影を始めてみるとこれが簡単ではなく、静止した鳥でさえカメラを手で持った状態での撮影では思ったように撮影できない。それで、三脚にカメラを取り付けて撮影するのだが、被写体に狙いを定めるのは存外難しい。
使っているカメラは、望遠レンズを搭載したデジカメで望遠程度に合わせてレンズが前後する。この時、カメラの重心が前後にふれる。望遠状態で重心が前にずれると被写体がモニターから外れてしまう。僅かな重心のブレが被写体までの距離が遠ければ遠いほどあれやこれや調整しているうちに被写体である鳥がどこかへ飛んで行ってしまうということが何度もある。
それでも静止画像を撮影する時とは異なる楽しみが動画撮影にあることに改めて気づいた。
終活としての趣味を考えてみませんか?とお会いする方に伝えているが、自分の趣味が誰かの癒しになり、それが、自分の趣味の楽しみを広げてくれるきっかけになった。
終活における趣味は人の為ならず 巡り巡って己が為ということなのかもしれない。
「遠くの親戚より近くの他人」というのは本当だ。
最近、つくづくそう感じる。
ある程度の年齢を迎えると親戚もどんどんこの世を去り、遠方であまり交流のない人だけになる。
そうした中、あることをきっかけに近所の方が母のことを常に気にかけてくれていることを知った。
ありがたいと思う。
それは誰の賜物なのかというと母自身であるように思う。
夏になると育てた野菜を近所に配る。学校帰りの子供に「おかえり」と声をかける。
何気ない日常生活の中での少しの交流が築く人間関係。
思えば昭和30年代から40年代にかけては、近所のおばちゃんやおばあちゃんがいて「ちゃんと勉強するんだよ」とか「気をつけて帰るんだよ」と言葉とともに飴玉をもらったり、スイカをもらったりしていた
そうした毎日のかかわりから何か起こったらあそこに逃げ込もうなどと子供ながらに知っていた。
インターネットを使ったSNSなかったけれど、日常生活の中に確かにあった今とは違ったかたちのSNSだったが、その仕組みは今でもきちんと機能することを改めて知った。
母の近所との関わり方を見ていると、いつか私も母ぐらいの年齢になった時に同じようなことができるのだろうか?
はからずも不安。
エンディングノートの書き方講座では「今、毎日していることが大切」という話をさせて頂いている。
引き合いに出すのがイチロー選手、故障の少ない選手としてイチローを支えているのが毎日のルーティン、ストイックなまでに、毎日、毎日、同じ動作をする。
「何故、そうするのですか?」という問いかけに「同じことをすることで、昨日との違いに気づくため」というようなことをイチロー選手はスポーツライターとの対談で答えていた。
とは言うものの、一般人に、イチロー選手と同じようなことはできない。
ではどうするのか?
いろいろ考えた挙句、私は「例えば、毎日、竹ぼおきで玄関先を掃くことをルーティンにするということもあります」という話をしている。
世の中にはそれを実践している人がいるもので、現在、ニューヨークで初の個展を開いているタレントの木梨武憲氏が、毎日、玄関先を竹ほおきで掃き、彼はそれを「これが私のルーティン」と話しているそうだ。
そういえば、以前は、近所のおじさんやおばさんが玄関先をほうきで掃いている姿をよく見かけた。
ルーティンというような言葉もない時代、私達の先輩は、毎日、毎日、ルーティンをすることで身体と心を整えていたのかもしれない。
今度のエンディングノート書き方講座でも「ルーティンは大切です」と皆さんに伝えたい。
エンディングノート書き方講座で受講者から「誰に相談したらいいのでしょう?」と尋ねられた。
介護のこと、相続のこと、それらの情報はインターネット上にあふれている。
でも、その情報をつなぎ合わせて自分の終活のライフプランやライフスタイルに生かすのは簡単ではない。
例えば、相続のことひとつをとっても微妙に表現が違うし、設例も自分の家族構成などとも異なる。
そして、ネット検索をして上位に表示される情報が最新の法令に基づくものでないこともある。
介護にしても、相続にしても、介護保険や相続税については、その扱いが目まぐるしくさえ思えるほど変化する。
そうした変化に対応するには、最新情報を得るための手段が必要となる。
例えば、日本FP協会は会員の業務に支障がないように会報やWebで情報提供してくれるので助かるが、一般の人は、インターネットから自分に役立つ情報を拾うのは至難の業だ。
以前から年齢が高い層の情報リテラシーをどうするかという問題が指摘されているが、遅々として改善していないと思う。
今年の4月から特養については要介護3以上でなければ利用ができなくなったが、要介護3は一般人から見るとかなり介護が必要な状態が進んだレベルなので厳しい改正だが一般的には知られていない。
国は在宅介護の方向性を打ち出しているので、介護もそれぞれの家庭で対応していく必要があるが、有用な介護情報を得るのは決して簡単とは言えないように思える。
介護のこと、相続のこと、「誰に相談したらいいのでしょう?」と尋ねられる状態は続きそうだ。
終活人コラム
母が手術を受けることになった。
「不安」が顔色から見てとれる。
機会も機会なので、もし、終末期を迎えたら延命措置をどうするのかということについて話をした。
母だけでなく、自分もどうするのかを話しをした。
何が起こるかわからない時代、年齢に関わらず、誰もが臆することなく話をすることは大切だ。
私自身は、終末期を迎えたら延命措置を望まない。その意思は変わらない。
何故、そう思うのかというと、親友が抗がん剤治療を受け終末期に向かうその過程のことが頭から離れない。
以来、人は寿命でなくなるのであって、本人の意思の確認できないままの延命には消極的。
実際、終活の相談を受け延命について尋ねると「家族に迷惑はかけたくないようにしたい」という方が少なくないように感じる。
これが正しいとか、これは間違っているとか言えない。
ただ、はっきりしていることがある。
どうすべきか?
母は思案中ということ。
エルニーニョの影響が今年は大きいそうだ。
そのため、太平洋側に大雪がふるという観測もある。
一方、日本海側では雨が降らず水不足におちいる可能性もあるそうだ。
エンディングノートを書くお手伝いをしている時、必ず、写真を見ながら書いてみるといいですよと伝える。
がさごそと少しだけカビくさいアルバムを開くと誰しもはらりはらり1ページづつ開く。
「へえ、懐かしいな。これ」と私に見せてくれる人はいつも笑顔だ。
男性であれ、女性であれ、エンディングノートは過去の自分にいざなう風。
見せてもらう写真は、その人ごとに違う。
でも、笑顔の輝きは変わらない。
ある人は言う「ああ、これじいちゃんだ。一緒にいったんだ。どこだっけなぁ?」
また、ある人は「この時、ぐらついていた歯が飛んだっけ」と笑う。
写真はモノクロでも、浮き袋で泳いでいる海のや空の色はきっとあの色に違いないと思う。
夏は夏色、冬は冬色、季節がはっきりしていた頃の写真。
もう、昔のように、はっきりとした季節の変わり目を楽しむことはできないのだろうか?
気づかいの出来る人とそうでない人の違いはどこに差があるのか?
そんなことを考えさせられることがあった。
しばし考える。でも、思うほどの差はないのかもしれない。
例えば、ある大手企業で初めて女性役員になった方は、来客される方の体調にあったお茶の出し方をしていたそうだ。
ご病気をされてから間もない方には白湯であったり、また、季節に応じてお茶の温度を微妙に調整したそうだ。
そうした気づかいが取引相手の目に留まり「おたくの〇〇さんは、とてもいい。気づかいが素晴らしい」というほめ言葉から彼女の社内での評価も高まり、結果、役員にまでなったそうだ。
そういうことから気づかいの出来る人は、ある意味、程度の差こそあれ自分の仕事に誇りのある職人気質のある人なのかもしれない。
お茶出しという普通の人なら面倒くさがる仕事でさえ飲む相手のことをイメージしながら工夫をすることによって「おっ!」と言われるようなレベルの仕事にしてしまう。
それは、まるでたった一枚の金属版から見事な作品をみ出す職人と同じ。
今回、気づかいがあるとは言えない人の仕事に接した。
他山の石としたい。
血液型Bの人にとってイチローはありがたい存在だ。
日本人としてメジャーリーグで次々と彼が塗り替えた記録の数々は誰の目にも明らか。
だからB型人間の私も血液型の話になると「ねえ、知ってる?イチローってさ・・・」とまるで豆しば君が語る口調で饒舌にB型人間の話をする。
ただ、正直B型でよかったと思えるようになったのは、つい最近のことである。
はるか以前、どこかの雑誌が血液型をテーマにした記事を書いた。それは仕事と血液型との関係をテーマにした記事だったと思う。
結果、B型人間の人とは仕事を・・・などというような風潮もあり、以来、「私はBですが、父はO型で・・」などというおよそ理論的というには程遠い説明をしなければならなかった。
それから10数年の時が過ぎ、イチローが出現。天才的な活躍とその孤高でストイックな面を見た私のような平凡なB型人間が「B型ってああなんですよ。わかります?」というような説明とは思えぬ説明を鼻高に語るようになった。
そんな我らがイチローであるが、最近、メジャーリーグにおいて以前ほど目立たない。
カズや葛西など40歳を超えて現役にこだわるレジェンドは多い。
しかし、個人的には、イチローには指導者として野球界のエディー・ジョーンズ(ラグビー)になって欲しいと思う。
何故ならB型の新たな可能性をそこに見たいからに他ならない。
先日開催したエンディングノート書き方講座について受講者の感想などが届いた。
この講座は行政が主体となって市民から講師を募り、受講者を市の広報で募るという仕組みの講座。
終活ライフプランとライフスタイルを研究している立場としては、どのような反応があるのか知りたいところであったが、結果としては、ほぼ想定していた通りであった。
講座にはいろいろなやり方があると思う。
でも、最近、とても感じているのが講師側の資料の至らなさが目立ってしまう面があるのが残念だ。
例えば、パワーポイントなどを使ってしまうと、相手が企業であればパワーポイントでプレゼンをするのもされるのも慣れている。
ところが、一般人にとっては、手元資料とパワーポイントなどのプレゼンテーションソフトで表示される情報の整合性をとるのはほとんど不可能だと思う。
結果、なんとなくしかわからないという状態になってしまう。
エンディングノートの書き方講座でこうした手法をとるのを疑問に感じていたので、今回の講座ではパワーポイントなどは使わずに手元資料のみで講座を開催したのだが、受講者の反応は良好だった。
また、講座ではいろいろと仕掛けをしてみたのだが、だい
たい思ったような反応であった。
次回以降はよりブラシュアップした講座として臨みたい。
最近よく耳にする「ICT」。
それ何?と思う人もいると思う。
英語Information and Communication Technology(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー)の略で従来のIT(Information Technology)よりも海外では一般的に使われるそうだ。
以前、とある電気通信会社関連貿易会社で働いていたころ、親会社のトップがC&C(Computer & Communications)というものを提唱、世界中から注目された。
あれから30年以上が経ち、当時のPCと現在のPCでは比べるまでもなくあらゆる面で夢のような進化をして手のひらで操作ができる。
電車に乗ればあちらを見てもこちらを見てもスマホ・スマホの時代。
特にこの2~3年の変化はすごいものを感じる。
そうした中で、今、タブレット端末の可能性が加速している。
実は、以前、中高齢者向けにタブレットの使い方を教えていた時、扱いにさえ慣れれば中高齢者も問題なくタブレットを使えると感じた。
ただ、問題なのはタブレット利用の入り口のセットアップ。
タブレット端末を購入してセットアップ、アンドロイドだとグーグルのアカウントを開設するなどの作業が伴う。
PCのセットアップよりもはるかに簡単な作業ではあるが、難なくセットアップ出来る中高齢者はあまり多くない。
「これ(タブレット)もっと簡単にならないの?」と感じてしまう中高齢者は決して少なくない。
ITからICTへの流れの中で学校などでのICTを活用したタブレット学習などが進みつつあるが、中高齢者のタブレット活用は遅々として進まない。
遺言書に斜めに引かれた線を巡る最高裁判所判決が出た。
線が入った遺言書であるが「読めるから」として一審二審でも有効とされ果たして上級審ではどうなるのかと関心の高かった判決。
今回、上級審の無効判決が出たことは遺言書は法律に厳格であるべきとする合理的でいい判決だと思う。
私は終活セミナーで自筆の遺言書は紛失・破棄・様式相違などのリスクがあるのでお金がかかっても公正証書遺言にした方が無難だと伝えてきた。
お金がかかると言っても、裁判で争いになり多額のお金と時間がかかるよりははるかに金銭的負担も精神的負担も少ない。
紛失・破棄・様式相違などのリスクもなく、リスクといえば公正証書遺言作成時に被相続人となる人の認知機能がどうであったかが問われるくらいで、それさえ問題なければ安心できるのが公正証書遺言である。
ただ、今でさえ公正証書遺言を作成したいという人が増加している状況で、今回の判決を受け、公証人役場での待機期間も相当な期間になることが予見される。
だからこそ、しかるべき年齢になったら早い段階で遺言書をかけるようにその内容を充分に吟味しておく必要ある。
そのための基礎となる資料がエンディングノートであることは書くまでもない。
知人から「終活相談に応じるためには何が必要か?」と尋ねられた。
しばし考えて「実務経験かな」と答えた。
私自身、人から終活相談を受ける上で役立っているのは、生命・損害保険の実務経験、不動産の実務経験、経理や社会保険の実務経験がいずれも10年以上、その間ファイナンシャルシャルプランニングにかかわる実務経験通算20年以上あるので、終活のご相談にはこの点をこう整理した上でこういう方にご相談してくださいとその場で伝えることができる。
こうした対応は実務経験がないと難しいので「実務経験」と答えたのだが、加えて「資格は重要」とも答えた。
いわずもがな日本は資格社会である。
保険の仕事は募集人資格、不動産の仕事は宅建士資格がないと満足な仕事がこなせない。一方、経理や社会保険の仕事は企業勤務者は健康保険・厚生年金・労災保険・雇用保険は資格がなくても勤務先の社会保険実務担当者として実務経験を積むことができる。
*但し、第三者の社会保険の相談を受けるには社会保険労務士の資格と登録が必要となる
それで「実務経験と資格は重要」と答えたのだが、彼は終活関連の資格さえあれば終活相談に応じることができると思っていたようで「それだけでは難しいと思う」と伝えると「大変なんだな」とため息をついていた。
終活のどの時点にスポットをあてた終活相談かで必要な経験や資格は変わってくるので一概には言えない。
ただ、「終活とは何か?」を学ぶには終活関連資格は有用であるけれど、実際に終活相談の場ではそれだけで相談者が満足できる応対をすることは難しいのが現実だと思う。
それは、人の人生はそれぞれの背景があって今あるからで、人それぞれの背景は単純ではないからだ。
彼にはセカンドライフに終活の相談相手になって人の役に立ちたいという希望があった様子だったが、終活の相談相手になることの現実的な難しさに気づいた彼のため息だけが印象深かった。
久しぶりの晴天の週末。
夜明け前の空気は寒く熱いコーヒーで身体を温めてみたもののすぐに震えるくらいの寒さだった。
それでも夜明け前からウォーキングにいそしむ人がいる。
安全に歩くできる環境がある。終活に関心の高い世代には考えておきたい点だ。
というのも、以前、自宅を売却して某所に移住を希望の方から相談を受けたことがある。
ウォーキングを日課にしている人だったので注意すべき点のひとつとして伝えたのは危険な動物の存在はないのか?ということである。
昨今、日本では、熊やイノシシがかなり増加した。
そのために地域によっては街でもそれらの危険動物との遭遇するリスクもあるので、そうしたリスクを考えて移住先を決定することを勧めたのだが、豊かな自然に恵まれた環境にひかれるままその人は移住した。
ところが、しばらくしてから連絡を受けると「移住を後悔している」とのことだった。聞けば、住んでいる近辺に頻繁に熊や猿が出没するので安心して歩けないのだという。
結局、元の家の近くに戻ったのだが、費用がかなりかかってしまったとのこと。
終活に関心が高い世代にとって終の棲家という言葉はある意味、魔法のような言葉だと思う。
だからこそ、終活世代の住まいについてはよくよく考えることが大切だと思う。
終活人コラム
サッカーを見ていると1本のバックパスでその選手がクレバーな選手なのかわかるような気がする。
道路を車で走っていると交差点の右折待ちで前の車の人が他人思いかどうかがかわかるような気がする。
人の呼び方ひとつでその人の品格がわかるような気がする。
それぞれほんの一瞬の出来事だが、それでも、その人がどういう人なのかは分かる。
だからこそ気をつけたいと思う。
(終活人は、終活とライフスタイルの研究するプライベートラボラトリー、研究テーマは、終活と住まい、終活と相続、終活とペット、終活とIoTです)